日本推理小説事始(1)

人間は推理する葦である

 「推理小説の父」、そう呼ばれているのは黒岩涙香、新聞「萬朝報」(1892~1940)の創刊者である。海外ミステリー好きであった黒岩は、三千冊もの原書を読破していたという。萬朝報を創刊する前より新聞社で働いていた黒岩は、海外の探偵小説の翻案を新聞に連載し、それらは涙香小説として人気を博すようになり、日本に推理小説を定着させるきっかけとなっていった。そして、黒岩涙香が翻訳物でなく自身で初めて創作探偵小説「無惨」を書いたのは、1889(明治22)年であった。しかし、この小説は読者には受けず「無惨」な結果に終わった。その理由は、論理的すぎる内容にあったとされ、この作品を後に高く評価した江戸川乱歩は、この小説が評価されなかったことは「日本探偵小説史上の恥辱」と記している。そして、この後黒岩は、怪奇性や恐怖、奇をてらった海外ミステリーの翻案に戻っていく。ちなみに、黒岩涙香(くろいわるいこう)は、「黒い悪いか」とも読めることから、探偵小説好き(或いは作者)の筆名として私には頷けるものがある。(anjinho)

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