最近ユーチューブやCDで、古今亭志ん朝の落語をよく聴いている。そして、その面白さ、噺の完成度の高さにいつも感心してしまう。面白くて少し前からよく聴きに行くようになった噺家に桃月庵白酒がいるが、時に志ん朝と比べて、帰り道に寂しくなったりもする(ごめんなさい、白酒さん)。志ん朝の対談集「世の中ついでに生きてたい」を読むと、「ついでに生きてる」というのは志ん朝の親父さんの古今亭志ん生の言葉で、志ん朝が父親のそんな生き方に憧れていたことが分かる。志ん生の「ついでに生きてる」生き方は、所詮噺家だ、会社の社長や偉人でもあるまいし、世間を斜めから面白く眺めてやろう、という彼の噺家としての哲学であった様に思えるが、志ん朝の「ついでに生きてる」は、噺、落語のついでに人生を生きたい、落語に全てをかけて、後の人生のことはついでのようなものでいい、と聞こえてきてしまう。それだけ、志ん朝の噺の完成度は高い。美人薄命なる言葉が世間にはあるが、名人志ん朝の早逝は今さらながら残念でならない。(蔦文蔵)
ついでに生きてる

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